『みょうが』
江戸時代の小噺です。
ある時、お日さまとお月さんが話をしています。
「これお月さんや、ちょっと私は冬至あたりまで旅に出ようと思うけど一緒に行きましょうよ」
「それは結構。参ろう参ろう」
ちょうどそのとき、通りかかったのは雷さん。
「これは、これはご両人、冬至までいらっしゃるのなら私も連れて行ってくださいよ」
三人連れで出かけます。
まずその夜は宿に泊ります、さすが雷さん、イビキがすごい、ゴロゴロゴロゴロ、やかましくて眠れません。
そこでお月さんとお日さまは相談して早立ちです。
「サーテ出発」起きてきた雷さん。
「ご亭主。お月さん、お日さんはどうした」
「もう、とっくにお立ちなされました」
「そうか、月日のタツのは早いものだ」
「ところで、雷さまはいつお立ちになられますか?」
「俺は、夕立だ」
宿屋にはいろいろなお客さんが泊るものです。
ある日、大金持ちが泊りました。
宿のご主人は、にやにや、そわそわ、なんとかお金をこちらへと思います。
そこで一計。茗荷を食べさせます。
薄く切って醤油をつけてさっぱり味、それに塩漬け、醤油の澄まし汁に卵も散らしてなかなかの風味です。
「これは美味しい」と喜んで食べるお客さん。
「ご主人、これはいけますよ。あなたもどうぞ」と勧めます。
お客に勧められて食べてみると美味しい美味しい。ご主人も奥さんもたくさん食べました。
翌朝です。旅人が立ったあと部屋中まわる主人と奥さん。
「忘れ物はないか。 忘れ物はないか」
でも何にも忘れ物がありません。
「あんなに茗荷を食べさせたのだから、必ずあるはずだ」
でもやっぱりありません。がっかりしてしまいました。ところがです、やっぱりありました。
それは、なんと主人が、宿賃を貰うのを忘れていたのです。
ところで茗荷の由来です。
お釈迦様のお弟子さんに周梨ハントクという人がいました。何を聞いてもすぐ忘れてしまいます。自分の名前も覚えられません。
そこで自分の名前を書いた大きな胸章をいつもぶらさげていました。まわりのお弟子さんたちはお釈迦さまの言うこともすぐ解って
立派になってゆきます。でもハントクはお釈迦さまのおっしゃったことも、すぐに忘れてしまうのです。
悲しくていつも精舎の外で泣いていました。そんなかわいそうなハントクをみてお釈迦さまは言います。
「ハントクよ、己の愚かな事を知っているのは立派な人だ」
「普通の人は自分が何にも知らないのに知っていると思い間違っているのが、ほとんどなのだよ。」
そして箒を持ってきて言いました。
「これで周りを掃き清めなさい」
「塵をはらい垢をのぞこう」
人々のあざけりや嘲笑の中、純真なハントクは、ひたすら掃き続けました。お掃除も立派な修行です。月を重ね日を重ね、
ついに心は清らかに澄んで、自由自在、素晴らしく美しい世界に入ったのでした。そして、このハントクの死んだ後、
そこに植物がたくさんはえてきました。その植物につけられた名前が茗荷でした。いつも名前をぶら下げていたことから、
「名を荷う」茗荷とつけたのです。
みょうがを食べると物忘れするという連想はここからきているようです。
でもほんとうはハントクさんのようにすばらしい悟りが開けるに違いない。そのように思います。 |