78゜North, Svalbard

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スバルバール (スピッツベルゲン) 旅行記

[Map of Svalbard]

Longyearbyen (北緯 78゜12', 東経15゜40')

[Fjord view of Longyearbyen]

Barentsburg 訪問 (北緯 78゜04', 東経14゜15')

[Looking up Barentsburg from the port]

その他

[The Svalbard Poppy is one of the largest of Svalbard's flowering plants.]

Svalbard の極めて簡単な紹介

Svalbard (スバルバール) 諸島は北極海に浮かぶ Norway 領の島々で、北緯 74゜〜 81゜に広がっています。面積は約6万3千平方キロメートル、四国と九州を合わせたよりもやや大きい広さです。
1596 年にオランダ人の Willem Barents が 諸島を訪問したことについては、確かな記録があり、彼がこの諸島の発見者ということになっています (日本では、関ヶ原の合戦が 1600年)。彼は島々をオランダ語で「尖った山々」を意味する「Spitsbergen (スピッツベルゲン)」と名付けました。この呼び名はその後、約 300年間使われてきましたが、1925 年に Norway 領となったとき、古代北欧語で「冷たい岸辺」という意味の「Svalbard」と改名されました。「Spitsbergen」という名前は、現在は、諸島中の最大の島の名前として使われています。
諸島が発見された頃は捕鯨が主要な産業でしたが、19世紀末には衰退し、20世紀初頭には全く行われなくなりました。狩猟は 18世紀からロシア人やノルウェー人によって行われ、現在でもわずかに狐等の猟が行われています。
今世紀に入って、石炭の採掘が行われるようになり、諸島の発展が始まりました。
20世紀初頭まで Svalbard はどこの国の領土でもありませんでしたが、1925 年 Svalbard 条約が結ばれて、Norway 領となりました。
この条約では、諸島に軍事基地を作らないこと、条約加盟国のすべてが平等に産業活動が出来ること等が定められています。(WWII, 冷戦中のソ連でさえ、この項目を忠実に守っていたとされています)
日本はこの条約が結ばれた当時からの加盟国ですので、産業活動が保障されています。明日から ロシア人街でラーメン屋を開いても法律上の問題はありません。また、ノルウェー人街のみならず、ロシア人街を訪問する場合でも査証は必要なく、滞在期間にも制限はありません。この島で一定期間生活することで、ノルウェー本土で合法的に滞在する資格を得る方法があります。
2010年 1月 1日現在、諸島の人口は約2,481人で、ほとんどSpitsbergen 島の炭坑の街である、Longyearbyen に住んでいます (2,052人)。同島のロシア人の炭坑町 Barentsburg では人口減少が著しく、約 400名。この他、わずかな人々が各地の基地 (Ny Alesund, Sveagruva, Hornsund 等) に分散しています。

Longyearbyen とノルウェーの炭坑街


Barentsburg とロシアの炭坑街

グリーンランドとはどっちが北にあるか

Greenland 最北の街、Siorapaluk は 北緯 77゜48', 西経 70゜58' にあって、Svalbard 諸島の各街よりも南の緯度にあります。視聴者の無知に付け込んだ TV番組 では、Siorapaluk を平然と「世界最北の村」と紹介し、視聴者の抗議の声には聞こえないふりをしました。

有益な情報


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Last Modified : 19th Sept., 2011