樋口一葉 1891(明治24)年11月9日
樋口一葉
日記(よもぎふ)
1891(明治24)年11月9日
「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。
一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。
そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、
「蓬生(よもぎふ)日記 一」から明治24年11月9日のなかに次のような部分があります。
『よもぎふ』 蓬生日記 一
九日 薄曇りせり。母君早朝帰宅せらる。今日は小石川稽古なるをもて、髪上げなどす。
突然に田辺有英氏にとはる。狼狽の事。意味有気なる物語之事。同氏帰宅、やがておのれも母君も家を出ぬ。
参着遅かりしかば、師君不機嫌の事。来会者廿九名計有し。小出君とみの子君の事。
中 略
表町といふ所に母君を尋ねあてゝ。ともどもに帰る。
八日計(ばかり)の月、雲に出没して、夜霧の道もみえぬまで立渡りたるなど、只うつしゑの心地す。
二人家に帰りつきしは九時成し。十二時床に入る。
|
夜道を歩きながら、雲間からの月を見た様子が描かれています。
月齢については、「八日計(ばかり)」としていますが、この晩の月齢を計算すると、7.7(21時)となりますから、ほぼ正確な観察が行われていたことになります。
シミュレーションした画面は、この夜の21時のものですが、月の20度程度上には-2.6等の木星が輝いていました。
この年、木星は9月上旬に衝を過ぎ、視直径を落としつつあります。
この日の天体暦を計算すると、
日の入 16時41分
薄明終了 18時07分
月南中 17時52分
月の入 23時01分
となっています。
月は薄明終了時間前に南中を迎えていますから、一葉が月を見ている時間にはもうだいぶ西空に傾いた頃になると思われます。
帰宅時間を「九時成し」としています。この時間の月の高度は18.5度あまりですから、家の屋根ごしにでも見えていたことでしょう。
すぐ上の木星も雲間から見え隠れしていたのでしょうか。
- 参考文献 -
(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社
kakurai@bekkoame.or.jp