奴隷剣士 ことぶきゆうき 罵声と喚声。何千人もの観衆のざわめきの中におれは向かっていた。後ろを振り返れば 矛を持った衛兵に突き立てられる。しかたなしにおれは一歩一歩ひきずるように前へ踏み だした。 「くそお、なんてバカげてるんだ!」 まったくおれは車にはねられたショックでおかしくなっちまったのか? ウォルター・ウルフのRG-ガンマ、黒いシンプソンのヘルメット、赤のデイパック、 東芝のヘッドフォンステレオでおきにいりのTOPGUNのBGMを聞きながら、今朝も いつもと変わりなくおれは大学へ出撃していった。 下宿からキャンパスまでは3kmとなかったが、おれはこの三年間、雨の日も台風の日も 通学路の県道をガンマで走っていた。 今朝も雨だった。それもある。タイヤの溝がほとんどなかった。それもある。しかし、 彼女がいたことが最大の原因だった。 ――幸子?!どうしてここに…!―― 幸子は高校時代の、まあ恋人だった。高2の時におやじさんの仕事の都合で引越してい って以来、音沙汰なしになってもう三年以上になっていた。自然消滅ってやつだ。千葉に 来てから何人かの女とつきあってみたが、彼女のことがなにかと引掛かってうまくいかな かった。 そうしてようやく幸子のことを忘れかけ、同じ弓道部の後輩の保奈美とうまくやり始め た矢先、いきなり目の前に彼女が現れたのだ。 おれは通学路でたった一ヶ所しかない左折点でコケそこなっちまった。そこを後ろから 来た車にドン!とやられちまったんだ。 身体が跳ね上げられたとき、ああ、おれは死ぬんだな、という感触があった。 ドサッ! 尻餅をついた時、おれは放心していた。ややあって、おれは下の方がぐにゃぐにゃする ことに気がついた。見れば、中年の男性が下敷きになっているではないか。 あわててその場から飛び退いた。身体は思いのほか無事であった。 ――この人がクッションになって…・あン?―― 二秒もするとおれは自分のいる世界の異様さに気がついた。バイクがない。アスファル トがない。 そう、そこは確かに道ではあったが、石畳で、おれが走っていた道路ではないのだ。 そしておれの下敷きになっていた男と周囲の人々の服装が、おれの目に映った景色のす べてがおかしかった。 白っぽい布切れ、石造りの家々、巨大な寺院、高い塔、まるで映画のセットにポン、と 飛びこんじまったようだった。たとえるなら…古代都市…ローマだか、バビロニアだか。 さらに付け加えておかしいのは、そこにいる人間が東洋人の顔をしているくせに金髪なこ とだった。 とにかく全世界が石とアイボリーの色で、その中に黒と原色で出来たおれがポツンと飛 込んでしまったのだ。 アイボリー色の人影のざわめきに気がついた時、これまた映画でしかおめにかかれない ような鉄か青銅製の兜をつけ、腰に剣を帯びた五人の兵士がおれをとりかこんでいた。 たぶん、おれに潰されちまった哀れな中年のために集まってきたのだろう。彼等は剣を 抜いてにじりよってきた。おれは両手を上げてあとずさった。果たしてこの世界ではこの 動作は降伏を意味しているのだろうか。 「やい、よそ者!」 頭に羽飾りを付けた奴(おそらく隊長なんだろう)はしゃべった。どうやら言葉は通じ るらしい。 「よそ者がこの国で罪を犯した場合、即刻死刑だ」 なんととんでもない! 「ちょっ、ちょっとまったぁ!」 しかしおかまいなしにその衛兵は切りかかってきた! おれは死にもの狂いで奴の手を捕まえた。もみあっているうちにおれの肘が衛兵の顔に 当り、そいつは剣を落とした。すかさずそれを拾い青眼に構えた。今でこそ弓道なんぞや っているが、以前は剣道をやっていたのだ。今でも自慢のたねだが、三段持ちで、中学の 時には代表選手としてアメリカに親善試合にいったこともあるのだ。だが両刃の鉄剣はけ っこうな重さがあり、自分にとっては長さも短めだった。 残りの衛兵が一斉に切りこんでくる。しかしおれの身体はさっき車に跳ねられたことを 忘れているかのように実に良く動き、時代劇の殺陣のように四人の剣客の刃をかろやかに かわしていた。 「お~っ、面ッ!」 ガキンッ!と剣と兜が響き合う音が続いて、四人の衛兵は全員のびちまった。さきほど の隊長らしき男は怒りに顔を紅潮させ、傍らの部下の剣をとると一直線におれに向かって きた。 ――殺られるッ!―― そう思った瞬間、おれは突きを放っていた。 おれの剣の切っ先はそいつの喉を貫いていた。返り血で目の前が真赤になった。 人を殺したということを実感する前に一つ気がついた。 ヘルメットをまだつけたままだった。 馬の蹄の音がした。 首がキュッと絞められる感触があった。 二、三度咳込むと、おれは目を覚ました。鉄格子の中だった。どうやら今まで気を失っ ていたらしい。 首をさすると、はっきりと縄の跡が感じられた。あの後おれは首に縄をかけられてここ までひきずられてきたのだ。縄の位置がよかったから窒息はしなかったものの、石畳の上 を引き回されてウォルター・ウルフのジャケットはズタボロだし、中身も同じ位ひどいあ りさまで、少し動くだけでも体中痛んだ。ヘルメットは外されていてどこにもなかった。 蝶番いのきしむ音がしてだれかが牢の前までやってくるのがわかった。視線をやると若 い男と老人だった。 若いほうがいった。 「お前は人殺しの罪を犯した。大衆の前で殺される。しかしチャンスもある。処刑人と闘 って勝てば生き残れる。剣を持ち、闘技場で闘うのだ」 なんてこったい! 「冗談じゃない、今のおれは闘うどころか、立上がる力もないよ、」 「? なんといった、」 「闘うのは無理だといったんだ」 喉が潰れてはっきりいえなかったが、ちゃんと発音はしている。 「どこの言葉だ、西の国のか?」 若いほうが老人に尋ねた。 「いいえ、違います。どこか…知らぬ土地の言葉ですな」 なんだと、おい!おれが話してるのはお前らと同じ言葉だろうが! 「まあいい、こいつの服を替えさせろ、」 二人がたち去ってからどれだけ時間が経ったのだろうか。そういった訳で、おれは今、 アイボリーの死装束を身にまとい、闘技場の狭い通路を歩いているのだった。 外へ。いや、闘技場の中へでた。 突刺すような午後の陽射しと、耳をつんざく大喚声とがおれを襲った。 鈍い音がして後ろの通路は閉ざされてしまった。 強い陽射しに目を細めると、辺りを見回してみた。 そこは悪人のぶざまな死に様を一目見ようと詰めかけた人々でうずまっていた。やれや れ、昔の娯楽ってのはなんて貧しいんだろう。 そして正面の長い階段の上には特等席が設けられていた。その席は今は空である。流れ 者の処刑など、その席に座るはずの人物は見る気もないのだろう。 そして視線を真下に移せば、反対側のポッカリと開いた黒い通路から一人の大男が姿を 現すのが見えた。 アーノルド・シュワルツェネッガーのような筋肉ダルマのたくましい手にはいかにも痛 そうな、ダブルブレードの大斧が握られていた。 ――自分の武器はどこにある?!いくらなんでも素手じゃあ、あのゴリラに絞め殺されちま う!―― 後ろを見れば、壁に剣が掛けられていた。それを手に青眼に構える。だいぶ息はあがっ ていたが、信じられないくらい身体は回復していた。 反対側の通路が閉まる音がした。その音が響きわたるぐらい場内は静まり返っていたの だ。 ガァーオッ! 大男が猛獣みたいな雄叫びをあげると同時に場内には再びドッ、と喚声が沸起こった。 それが開始の合図だった。 牛みたいなものすごい勢いで大男はつっこんできた。おれは闘牛士みたいな気分になっ た。闘牛とちがっていたのは、奴が闘牛士も兼ねていることだった。 大男が斧を振りかぶる。その影に太陽が隠れる。おれは攻撃を防ごうと剣をかざす。 斧が打ち降ろされる! 斧は剣に当り、こらえきれず剣はおれの眉間にドカッと当たった。 スイカみたいにバックリおれの額は割れちまった。そして地面に大の字に倒れ伏してい った。 はずかしながら、おれが死に際に見たものは、自分の一生でも両親の顔でもなく、一人 の女の顔だった。 ――手紙を書くよ、だと?…畜生、おれは大ウソつきだ…―― 大男は歓声に応えてガッツポーズをとっていた。しかし、アッという声とともに闘技場 に静寂が走った。 振り返りざま、大男が見たものは、血ダルマの男と、自分の胸に突立てられた鉄剣だっ た。 おれは生き残った。というより、死ねなかった。 どんな人間でも頭骸骨を割られたら、死ぬ。でもおれは死ななかった。頭骸骨は折れて いなかったのかもしれない。だが、確かにその時からおれは限り無く不死に近い身体を手 に入れたのだった。 おれは生きる権利の代わりに足に鎖をつけられた。 そう、おれはこれから奴隷剣士としてこの退屈な世界の民衆を楽しませるために戦い続 けるはめになったのだ。 そしてこの国の何百という奴隷の足枷は皆同じで、それを外す鍵はたった一つ。闘技場 にしかないのだ。 おれは段々とこの世界のことがわかってきた。どうもここは夢の世界らしいのだ。なぜ なら、知った顔が多すぎるからだ。さきほどの不死身も然りだ。 さっき闘技場を出るとき、おやじを見た。 「おやじ!おれだ!健吾だよ!」 しかしおやじはおれに目もくれずいっちまいやがった。 それから、おれの主人になる人の家に着くまでにも、何人か顔見知りがいたのだった。 そして… 「あんたが不死身の男かい。あたしはミナ。今からあんたの主人だよ」 なんと、おれの女主人は保奈美の顔をしていたのだ。 「あんた、よその国の人らしいけど名前はなんてんだい」 「中村健吾だ」 今度は自分でもはっきり聞こえる声だった。しかし、 「こまったね、まったく話せないんだ、」 以前として言葉は通じなかった。 「あたしのいってること、わかる?」 おれは首を縦にブンブン振った。これがノーのジェスチュアーであってたまるものか。 「なるほど、こっちのいってることはわかるようだね。でも名前が無いと不便ねぇ…」 しばし沈黙の後、 「よし、決めた!あんたの名前は、西の国の言葉で死神という意味の『ブラック』、『ブ ラック』よ!」 「おれは中村健吾だ!名前ぐらい聞取ってくれ、ケンゴだ!ケンゴ!」 「あー、もうわめかないで!YESかNOかで答えるだけでいいわ、」 「YES!」 彼女は親指を立てた。 「NO!」 おれはしばらく開いた口が塞がらなかった。彼女が立てたのは中指だったのだ。 三度の戦いに勝利したおれは正当な闘士として認められることとなり、いよいよ国王の 前で誓いをたてることとなった。 なんでもおれが倒した三人はかなり上級の闘士だったらしく、三度目の戦いでいきなり の昇進とは異例のことだった。 いつもは空白だった階段の上の特別席には真紅のローブをまとった国王と王妃、そして 純白の衣をまとった姫の姿があった。 顔をあげた時、おれはもうなにもいえなかった。 お姫様はなんと幸子だったのだ。 王はおれのことをかなり気に入ったらしく、かなりのほうびと、三ヶ月の訓練期間を与 えられた。 ミナはおれのことを「とんでもないドル箱ね!」といって抱きついてきた。 ミナが雇ってきた剣の師匠っていうのが、なんでも伝説的に強かった剣士らしくて、い まは市民として暮らしているそうなのだった。三ヶ月そんな先生に見てもらって三ヶ月遊 んで暮らせるほどおれのもらった奨励金はすごかったらしい。しかしおれはミナが遊んで 暮らせる間地獄のような特訓を受けることになっていたのだ。 老人の名は『サン・バダイバ』。太陽神といった意味だそうだ。驚いたことに、老人も しゃべれなかったが、自分とだけは会話が可能なのだった。おれは夢中で今までのいきさ つをしゃべりまくった。 「おまえさんのことは良くわかるよ。わしも同じ様にこの世界へやってきたのだから」 老師の話によると、以前にも度々こうしてこの地にやってきて不死身になるものがいた という。彼等は限りなく不死に近かったが二つだけ死ぬ方法があるそうだ。 一つは首を切り落とされること。もう一つは自分が最も愛する者の手にかかることだと いう。 「もっとも、わし以前にいたという不死の闘士はかなり前に死んでしまったので後のほう のはわからんが、最初にいった『首をおとされると死ぬ』というのは本当じゃ。わしは今 までに何人首を落とされて死んでいったおまえさんのような連中をみている」 老師はもう自分がどのくらいいるのかわからないくらい前からこの世界にいるのだとい う。 「わしが察するにここは死んだ者の魂の修練所なのだよ。死んだ者はここに来て何かをし て、そしてこの世界で死んで再び生れ変わるんだろうよ」 「…じゃあ、やっぱりおれはあの時死んだんだ…」 「いや、そうとも限らん。あくまでわし一人の考えにすぎんのだからな、」 「しかし夢ならおれは老師にあって言葉を交わすなど…」 「昔、夢の中で蝶になった男が夢からさめて、人間と蝶、どちらの自分が夢なのか、とい ったそうだよ。夢と現実なんてそう変わりないものさ…だがこれだけは覚えておけ。おま えさんもわしもこの世界に生きている。生きている限り死ぬまいとする。心の底からそう 思っているから今のおまえさんは不死身なんだ。 我々はこの世界で何をすればよいのかわからん。それは前にいた世界でも同じだったは ずだ。ならば生きるために努力しなければならん。いかにつらいことが起きようが生きる ことをあきらめてはいかんのだ。体の一部を失えば二度と戻ってこんし、首を落とされれ ば死ぬ。逃げ道はあるがそこへ走ったら負けだ。きっといいことはない。だからわしは勝 ち続けた。一度も負けずに市民になれた。市民となってこの世界で暮らしてゆくのが一番 のことなのか、それとも死して別の世界へ行くのが正しいことなのかはわからん。 しかし生きろ!生きていれば何かかわるかもしれん。真実が見える時が来るかもしれん。 だから今は闘って、生きのびるのだ!」 おれはまったくその通りだと思った。不死身とはいっても痛みは感じるし、首をはねら れれば死にもする。そんなのはまっぴらだ。 それでおれはこのサン老師のもとで生きる残るための技を鍛練することになった。 まずは苦痛に耐える訓練をした。とにかく自分は首を切り落とされない限り死ぬことは ない。しかし痛みは感じるのだから、苦痛を受けてすきができ、首を落とされる可能性が あったのだ。 ありとあらゆる拷問を一ヶ月間行ない、今では胸に短剣を突き立ててもうめき声一つ立 てなくなった。 次の一ヶ月間では肉体を鍛えた。剣をふるうにはそれなりの肉体が必要だ。 そして、最後の一ヶ月は剣技の訓練だった。もともと剣道の有段者だったおれは、短期 間の間に老師の要求にすべて応えられるだけの腕前に成長した。もっとも、この不思議な 世界がそうさせたのかもしれない。 そうしておれは再び闘技場にあがった。 どんな相手も三分以内に倒した。その強さは師であるサン・バダイバを遥かにしのぎ、 王国の騎士団長にもひけをとらないのでは、と噂された。 おれは人気一等の闘士になり、国内にかなうものがいないので、外国から挑戦者を募る までになった。 富も名声も得た。大勢の女達とも寝た。今ではミナでさえもおれのものだった。 だが何かが足りなかった。日を追うごとにおれの胸にある風穴が広がってゆくようだっ た。 足枷。誇らしく町を凱旋するときも、飯を喰うときも、ミナをこの胸に抱くときも、お れの足からこのいまいましい鎖が外されることはなかった。この鎖のあるかぎり、国一番 の剣士と、その剣士に殺された者の死体かたずけの男に何の違いも生れないのだった。 その日、国王はおれを騎士団にめしかかえるといってくれた。おれはこの国始まって以 来の奴隷から騎士への立身出世になったわけだ。ついにおれの足枷がはずれる日が来たの だった。 明日、おれは王宮に招かれ騎士を授かり、その後四軍騎士団の四人の軍団長と手合わせ することとなっていた。 おれの傍らではミナが寝息をたてていた。おれはしばし月光に 照らしだされた、その陶磁器のようにきめ細かで美しいうなじがゆっくりと上下する様を 見つめていた。 ミナは言葉使いも悪く、品もなかったが、彼女が悪いわけではなかった。 環境のせいだ。早くに両親を失って今まで一人で生きてきたのだという。そんな彼女が ときおりみせる、悲しげな表情や女らしいしぐさをおれはたまらなくいとおしく感じてい た。 二人の間に主人と従者という関係はなかった。むしろ今ではおれがミナの主人のようだ った。 ――おれは本当にこのままでいいのだろうか。明日、騎士を授けられミナといっしょに王 宮で暮らす…それでいいのだろうか。いままでの満たされることのない気持ちはそれでお さまるのだろうか。師よ…―― 窓から見える青白い月にフッと姫の顔が浮かんだ。 そしてそれが、自分を見る人々の、奴隷を見つめる目に変わる。ひどく冷たい目に。 ――ちがう!―― おれはガバリとベッドから跳ね起きた。 「…どうしたの、」 ミナも目を覚ます。 おれは剣と短剣をひっつかんで、ミナのもとへ戻ると、短剣のほうをミナに渡した。 「ミナ!…おれは今おれはお前を裏切った。お前と枕を交わしてしながら、別の女のこと を考えていた…それでおれの胸を突け!」 「なに…どうしたっていうのよ、」 おれは胸に短剣を突き刺せと身振りで示した。 「おれを殺してくれ!…たのむ!…」 「何をいってるの、あなたッ!」 ミナは首を振るばかり。 おれは剣をミナの喉へ突きつけた。 「さあ、おれを刺せ!でなければおまえを殺す!」 「わからないわ…どうかしてしまったの、」 ミナは刃をつかんでわきへのけると、おれの胸へ飛び込んできてわあわあ泣いた。ミナ の涙はおれの傷だらけの胸にやけにしみた。 翌日。王宮には花火があがっていた。たかだか奴隷剣士一人のためになんともえらいさ わぎだな、と思った。 おれの人気がそうさせたのだろうが、今のおれにはどうでもいいことだった。 ――決着をつけてやる―― 昨晩、老師に会ってきた。そしておれの心にはある決意がかたまっていた。 「神の名において、セント・ミナモト、セント・ミヤモトの名において、そなたに騎士を 与える!」 おれの両肩に刀があてられ、儀式は終わった。人々から歓声があがる。四人の軍団長と の模擬試合は正午からだ。おれは彼等の突き刺すような視線を感じとっていた。奴隷が誇 り高き騎士に任ぜられたのだ。気にいられなくて当然だろう。そんなことは老師とも話し ていたことだ。 第一軍団長オダ・ゲルドリンは騎馬戦を得意とし、 第二軍団長トヨトミ・バルスキンは怪力の剣豪。 第三軍団長トクガワ・ドラングは戦斧を持つ格闘王。 そして、第四軍団長ダテ・クールガンは最強の剣士。風をも切り裂くという意合いの達 人ということだった。 こんなつわものどもと一気に試合だなんて所詮、騎士とは名ばかりだな、と思った。 中庭は試合の準備が整っていた。おれは黒いシンプソンのメットをかぶり、同じ様に黒 光りするアーマーをまとっていた。腰には昨夜老師より譲りうけた名刀、ムラマサ・ブレ ードがあった。 「ブラック殿、どうぞお手やわらかに」 オダは馬上よりおれに声をかけてきた。おれは応える代わりに中指をおったててやった。 その真意を悟ってか、王の手の挙げられると同時に、いきりたってオダはチャージをか けてきた。一歩遅れる形でおれも馬を叩く。 ガァィィィーーン! 一度目の激突があった。どちらも落馬しなかったが、おれはランスをとり落とした。従 者より控えのランスを受取ると再び向合って走りだした。 こんどはオダのランスはおれの喉をめがけて突いてきた。おれが不死身なのを知っての お遊びか、それとも本気で奴隷あがりの新参者をこらしめるつもりなのか。 おれはシールドを捨てるやいなや、左手でランスをはらい、同時に脇へかかえこむとい うことをやってのけた。 「おおっ!」驚嘆の声がもれる。 ガッツン!と鎧と鎧がぶつかりあい、もつれあって落馬した。と、同時におれは奴の首 に手刀をたたきこんだ。 ――命は取らん…重傷をおわせるだけでいい―― おれはヨロヨロと立ちあがると、両手を広げてこまったというジェスチュアーをした。 何人かの者が集まってきた。 「たいへんだ!オダ殿が動かない!」 一瞬のざわめきの後、オダはタンカで運ばれていった。 「王よ、怪我人がでました。いかがなさいましょう」 大臣の問いかけに三人の騎士団長は声をそろえた。 「王よ!ぜひ続けさせたまえ!」 「うむ、続けさせよ」 ――そうだ、それでいい―― 左手は出血していたがそんな痛みはどうでもいい。おれは自分の驚異的な回復力に自身 を持っていた。 二番手はトヨトミが相手だ。彼の手には噂の両手剣があった。戦に使う武器を手にして いるとはどうやら本気でおれを潰す気らしい。ツー・ハンデッド・ソードを一撃うければ 体は確実にまっぷたつだ。いくらおれでも死ぬ。そんなシロモノの使用を認める暗黙の了 解がそこにはあった。 ジリジリと間合いを詰め合う。 「うらぁぁあああああっ!」 全長2m、厚み1cmはある巨大な剣が打ちおろされる! 「ムラマサッ!!!」 刃よりほの白い光が現れる。 ――昨夜。 「おれはもう決めたんだ!」 「どうしてもやるというならば、みごとこの老人を倒してからにせい!」 おれは迷うことなく老師に打ちかかっていった。 老師の剣をはらったとき剣が折れた。 しかし老師が次の一撃をくりだすまえにおれは折れた剣の切先を老師の胸に突き立てた。 「み…みごとだ…おまえにはこの剣を授けよう…」 そのムラマサに全身全霊を注ぎこみ、真直ぐに突きだした! ムラマサがバナナの皮でもむくようにトヨトミの巨大な刃を縦にまっぷたつに裂いた。 そして奴の両手のひらはバックリと裂けた。刃を喉もとにつきつける。 「次はどいつだ!」 周囲がざわめき始めた。 「王よ、あいつめに一撃をくらわすお許しを!」 そういってトクガワはバイザーを閉めると、バトル・アックスをふりまわしながら突進 してきた。その一撃を身を翻してかわし、利き腕をとらえた。 「貴様ごとき、おれは認めんぞ!」 「奴隷相手に命を捨てるか!」 「おうとも、命までもだ!」 ――何!言葉が!―― おれは剣を手放してしまっていた。がむしゃらに奴の斧につかみかかってゆく。 戦斧をめぐっての格闘戦。筋力では分が悪い。 打撃数は五分五分、しかしおれのほうが打たれ強い! トクガワの握力が衰えた一瞬、おれは斧を奪いとり、素早く奴の右肩へ打ちおろした! ゲキョッ!鎧がグニャリとへこんでトクガワの肩が完全に砕けたことを示していた。 そのとき、宮内とは別のざわめきをおれは聞きつけた。 おれはムラマサを拾うと切先を王へむけた。 「王よ、奴隷たちの鎖は解かれた。王が王たる時代も終わりを告げる時がやってきたのだ!」 「バ、バカな!」 すでに四っつの城門には手に手に武器を携えた奴隷達の群勢が詰めかけ、騎士団はその 対応に奮闘していた。 すべてはおれが仕組んだことだった。 「おのれ、目をかけてやった恩も忘れおって!」 「…所詮、わたしは下衆な奴隷ですよ…王様!」 自分は今日、死ぬ覚悟があったから行動できた。これが自分がこの世界で出来ることだ と信じた。だから実行した。悔いはない。 「王よ、姫はもらうぞ!」 おれは姫を目指して宮殿内へ突入していった。そのおれの前に、四番目の男、最強の剣 士が立ちはだかった。 「…前の三人の手応えはどうだった」 「かなりよかったね」汗が顔を伝う。 「…不死の男も首が胴を離れれば終わりだそうだな」 「ああ、バケモノじゃないからな」 左手の握力を確める。風も息を止める。 「ゆくぞ!勝負ッ!」 ――口から血を吐きながら老師がいった。 「…我が名を授ける。今からおまえはブラック・サンを名乗るがよい!」 消えゆく老師。 ――最も愛する者の手にかかった時…?!老師! 「おれの名はブラック・サン!最強の剣士だ!」 「いやぁぁああああああッ!」 ダテがおれの横をすりぬける。 左腕が肘からズルリと落ちた。 「うぉぉおお!」 痛みからではなく恐怖から絶叫がほとばしった。 「もらった!」ダテが後ろから切りかかる! おれは動かなかった。ヘルメットがバカリと割れた。 ダテも動きをとめた。奴の額にはムラマサが突き立っていた。 おれは右腕一本でバタバタと王の近衛兵をなぎたおしつつ、玉座の間へたどりついた。 そこには王家の者と、四人の近衛兵がいた。幸子の顔をにらみつける。 ――ちくしょう、目がかすんできやがった、 「ブラーック!どこなの、ブラーック!」 ――幻聴かな、ミナの声までしやがる。 四人の近衛兵もおれの敵ではなかった。 おれは姫に詰め寄った。おれの真の敵はこの女なのだ。 「ブラック!やめて!」 背後からミナがあらわれ立ちはだかった。蔵の中にとじこめてきたのにどうやってここ までやって来たものか。 「もうやめてブラック、王様を殺しても何もいいことないよ」 ミナの涙はおれの力を奪うには十分すぎた。 「もうほっておいても国は変わるだろう。これからはもう奴隷はいなくなるんだ」 「あたしは…今のままでいいよ…」 「ミナ…ありがとう…おまえのことは忘れないよ」 おれの右手の刃はミナのきゃしゃな体を貫いていた。 「ああ…あなた、愛してるわ…・」 今生の別れに口づけを交わすと、一気に剣を抜きはらった。 おれは泣いていた。大切な人を二人も自ら手にかけたのだ。 ――じきにおれも逝く。 王と王妃、そして姫をにらみつける。壁にまであとじさった姫に剣を一回転させて柄を さしだした。 「これでおれを突け!」 「?」 ざわめきが大きくなり、群衆の近づいてきているのがわかった。 「さあ、早く!」 「いや…どうして私が…」 「お前でなければだめなのだ、」 「いやです」 姫は縮みあがるばかり。 おれは最後の力を振り絞り姫の傍らの王に切りつけた。王は一国の主らしからぬ最期を むかえてくずおれた。 再び柄を姫にさしだす。 「さあ、おれは父上のかたきだぞ、討つがよい!」 姫は震える手でムラマサを受け取ると、ぐっと両手で握りしめ震えをおさめた。そして 突刺すようなまなざしをおれに向けた。 エイッ! 脳天を貫く痛みがあった。ムラマサはおれの心臓を貫いていた。 「フッ、それでいい…」 姫を捕えようと前にさし伸ばされたおれの手が虚しく空をきった。 「さ…ち…こ…・・・」 おれの頭の中でこの世界でのできごとがフィルムの逆回しのように蘇る。 そして、あのカーブへ… 目が覚めた。体中がガンガン痛んだ。 おれは病院にいた。 そして、おれの目の前には幸子がいたのだった。
1989/9/30 "Gradiator"
(『GENESIS vol.14』 初出)