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2007.08.31
[ひとりごと]

浅草寺で見た火球

浅草寺の観音堂の上に見えた火球。2007年8月4日、23時50分すぎ。大きさや形、色、変化の様子を心象イメージとして描いたもので、当然ながらカメラの映像ではこんなふうに見えない。カメラに映った「現実」と人間の内的なイメージの「現実」の違いを感じる。日常、見慣れたものは、それほど違いに気づかないが、はじめて目にするものは違いが大きいのではないか。以前、見た火球のイラストもアップした(→)

 8月4日の夜、あと数分で日付が変わる時刻、浅草で火球を見た。火球とは大きな流れ星のことで、一般的にはマイナス3〜4等星よりも明るい流星を呼んでいるらしい。目安として、夜空の星で一番明るい金星がマイナス4等ぐらいということでイメージできるだろうか。地上100キロぐらいの高さで大気にふれて光るので、浅草や東京だけでなく、もっと広範囲に見えたはずだ。
 太陽の周りを回っている彗星が宇宙空間にまき散らした0.1〜1ミリぐらいの塵が、たまたま地球の引力に引きつけられ、大気圏に秒速数十キロのスピードで突入し燃え尽きる、その光跡が流れ星になる。
 火球の中には、稀に燃え尽きず地面に落ちて隕石になるものもある。隕石は小惑星の小粒なものと考えられているが、太陽系の生まれる前の超新星の爆発の痕跡が残っている隕石も見つかっている。
 
 その週、8月に入りやっと梅雨が明けてから日中は35度近い猛暑。夜になっても熱気が残っている。歩いているだけでも額から汗が流れてくる。セミの鳴き声も聞こえる。
 浅草寺の観音堂の裏、江戸時代に奥山と呼ばれていたあたり。その昔は、大道芸や見世物がたくさん出ていたところだが、今は砂利を敷いた広場というか空き地のようなスペース。お正月やほおずき市、羽子板市のときには露店が一面並んでいるが、その光景には江戸時代からのつながりが垣間見える。
 観音堂のまわりには、ところどころにイチョウの樹が葉を茂らせているが、他の土地の樹とは少し違う。夜、樹のシルエットが平べったいのに気づく人がいるだろうか。1945年3月10日の東京大空襲で樹の上の部分が焼けてしまいながらも、枯れずに生き続けているのだ。
 ご神木の樹齢800年というイチョウも、少し高い切り株のような状態。近づいて幹を見ると今も焼け焦げた跡が見える。それでも青々とした葉が茂っている。
 
 唐突に、東の方向、正確には真東よりは少し南の方向、ちょうど三社様や二天門の上に、真っ白に光るラインが闇を切り裂いた。ちょうど歩いていた方向だったので視界に入ってきた。左から右に水平に近いコースだったと思う。青い稲妻のような光が白い本体の周りを包んでいた。その青は空色、スカイブルー。青と白のツートンカラーはアルゼンチンやニカラグアの国旗に似た配色だった。それぐらい青色には幅があった。
 一瞬の何分の一か後、後尾の白い輝きが突然、丸く膨らんだ。「爆発」が起きたのだ。音は何も聞こえない。予想外の展開に思わずウワッと目を見張ったが、すぐに消えてしまい、もとの夜空に戻った。すべてが瞬間的に終わったので、火球が消えた後にもびっくりしている気持ちが残っているのが妙な感じだった。
 都会のまん中で、晴れていても星はそんなに見えない。サソリ座の1等星アンタレスも輝きはぼんやりして地味な感じ。そんな夜空にエキサイティングな見物だったが、あまりに唐突で瞬間的で、まわりに犬の散歩をしている人や野宿している人、ちらほら人影はあったが、誰も気づいていない。
 
人魂・火花
 3年前の春の宵に一度火球を見ているので二度目(「ひとりごと」「火球とパントマイム」)。今回、見た火球は、あのときよりは小さく、サイケデリックな獄彩色でもなかった。あの火球は宇宙のオモチャ箱をひっくり返したような童話的なイメージだった。
 火球は、大気との摩擦で、流星の成分と空気が高温になりプラズマ状態になって発光する。宇宙にある物質の99.9%はプラズマ状態だという。地球の自然現象ではオーロラや雷の稲妻、流れ星がプラズマだ。その白とブルーの発色は、言葉では言い表せないぐらい清々として、生々しく鮮烈だった。
 火の玉、人魂は火球だという説がある。これまで怪談話しに出てくる人魂と流れ星がどうして結びつくのか腑に落ちなかったが、星というよりは発光体で、とりわけ白とブルーの組み合わせはただなない雰囲気があって、そんな説があるのも納得した。子供のころ、原っぱにいたトカゲのシルバーとブルーのメタリックな模様を想い出したりもする。
 
 はじめて見るものでありながら、どこかであの白とブルーの稲妻のようなイメージが記憶のなかにインプットされていた。記憶を辿っていくと、それは目で見たのではなくて、昔、本で読んだ一節。芥川龍之介の書いているこんな火花のイメージだった。
 
 「 八 火花
 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也(かなり)烈しかつた。彼は水沫(しぶき)の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線は不相変(あひかはらず)鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄(すさ)まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。 」(「或阿呆の一生」芥川龍之介)
 
天と人
 自然現象を自分の人生の出来事と結びつけて考える。そんな見方がある。「ひとりごと」の「平貝とテレンス・マッケナの言葉」でふれた瞑想家の故A先生は自伝の中でこんなエピソードを書いていた。
 A先生は、20代のころ、師と呼べる人はこの人だけだったと述べているが、はじめてこの師の家を尋ねたときのことを次のように描いている。
 
 「夕暮れとともに空は真青に染まりはじめていた。まわりの空気までもが、深い青の照明で照らされているような不思議な夕闇だった。……
 師が話したところによると、この深い夕暮れは、めったに見ることのない美しい夕暮れで、私の魂との出会いを祝福する象徴的な出来事でもあるというのだ。確かに私の胸は、平安な喜びでいっぱいになっていた。この夕暮れはただの青さではなく、霊的なものだといわれても素直にそれを信じることができた。それほど夕暮れの青さが、私に深い印象を与えていた。」
 
 この一節は、なぜかとても印象的で、A先生の純粋で飾らない人柄を想い出すと、真青な美しい夕暮れという情景はA先生自身のイメージのような気がしてならない。
 3年前の春の宵、見た火球は、知り合いに会いに行く途中のことだった。その方と会ったのは、せいぜい5回ぐらいだったと思う。しかし、自分にとっては忘れられない存在だった。人と人との交わりは、年月や回数だけではないんだな、そんなことを感じている。
 あのときは、なにごともなく話しをして別れたが、2年後、その方は病で亡くなった。いま振り返ると、あれが最後の別れであって、火球は、その日を忘れられないものにしてくれた。火球を見たときには、お別れの徴(しるし)とは思いもしなかったが、後からそうだったと分かる、そんな仕組みがこの世のリアリティなのかもしれない。
 
 人の人生は、地球の60億の人間はみんな、人と出会ったり別れたりするパターンの繰り返しのように見える。今の人間の内では、魂よりも思考によって考える力が優位になっているので分かりにくいかもしれないが、もし本当に魂と魂が出会ったならば、別れはないともいえる。そこでは、別れは、死という今生の形式にとどまる。
 そんなわれわれの人生は仮象の物語と言えなくもないが、それでも、今生での人との出会いと別れを天、別の言い方をすれば宇宙的な力と関連させて理解することは、仮象の人生を人間世界を超えたもっと恒久的な関係の中で捉えられるようになる、ひとつの安心をもたらしてくれるのではないか。
 
 8月6日、月曜日。浅草で見た火球も何かの出来事と結びついている、あるいはこれから結びつくのではないか、この文章を書きはじめながら、とりとめもなく考えていたとき、昼過ぎ、関西の知人から電話があり、先週から相談にのっていた若者が昨日の5日の朝、自殺したということを知った。まさか……。この前、長電話で話した声ははっきり憶えている。その彼が、いまはもうこの世にいないとは。
 電話で6〜7回、話したぐらいで、遠方に住んでいることもあって、いや、なにより自分の力不足で十分な対応ができなかった。8月1日、水曜日の夕方、一言二言話したのが最後になってしまった。火球を見た土曜日も、あの若者のことが気がかりになっていて昼間から何度か意識に上っていながら、何もできなかった。
 本当にかすかな接点で出会い、あっという間に去ってしまった。古来、流れ星は「死」と結びついて考えられていたという。三国志では、赤い大きな流れ星が諸葛孔明の死を示していたとか、童話のマッチ売りの少女でも、星が落ちるたびに人の魂が神のもとに召される、人の死の徴(しるし)として語られている。
 鮮烈な白金と空色に輝いていた火球は、人の魂が最も純粋な形をとって現れたものとして受けとめようと思う。冥福を祈ります。