第3炭坑見学

0930 随分旧式のワゴンに乗った長髪屈強な若者が迎えに来ました。ガイド兼運転手ですが、昔、坑夫として炭鉱内で働いていた経験があるようです。
車に乗るときに voucher を回収しながら、
「おばあさんどこから来たの?」「England」「じゃぁ今日のガイドは英語ね」
あおやまには Norwegian がわかるか、などとは訊いてもこなかったのですが、助手席に乗り込もうとすると、「お、navigator」と冷やかされました。

ガイドも運転席に乗り込んできて、客の方を振り向き、「これから coal mine 3 へ行く。いいね。」
老夫婦「私たちぁ、boat trip に行くんだけど…」
ガイド「それはこの車じゃないな、別に迎えが来るょ」と運転席横の回収した voucher を繰ると、なるほどひとつ boat trip のものが出てきました。出発時刻が同じだったので、間違いが起こるのも無理はありません。しとしと雨で寒く、こんな日に boat trip へ行くのはちょっと嫌だな、というお天気です。
で、その老夫婦を下ろし、「さぁ、mine へ行くぞ、違うところへ行く奴はもういないな」に車内から笑い声が起こりました。
車は空港への道を fjord に沿って走ります。
右手に黒っぽい広場が海面に突き出しています。「Coal harbor だ。冬はここに掘り出した石炭を集積しておくんだ。海が凍って船が来られないからね。」
[Cleaning fabric]選別機 (大きい写真は 15kbytes )
左の丘の上にベルトコンベアで結ばれたホッパが 3組見え、炭坑から来たロープウェーがここで終わっています。「選別機だ。ここは良質炭なので、こんな簡単な設備でいいんだ。」そういえば、筑豊ではボタ山が炭田の象徴ですが、ここではそれに類似したものはずいぶん小さめのものでした。
Longyearbyen の選別は乾式だそうで、これが簡単な選別機の構造と関係あるかもしれません。教科書に依れば、一部研究段階の選別法を除き、いずれの選別法も水を使用するため、選別後脱水することが必要、ということになってます。ちなみに、Svea での選炭は湿式の由。
車中、ガイドは Lompen の話を随分長くしていましたが、長かっただけに、内容をほとんど忘れてしまいました。Lomp は坑夫たちの浴場で、街の中心部に複数箇所あって、炭坑への行き帰りはバスです。そのバスに乗り遅れそうになって、走り込む話をガイドは冗談を織りまぜて、面白おかしくしてくれたのですが。
現在の lomp は街の中央部の LOMPEN 内に 1箇所あるだけです。
空港手前で左折し、急なカーブのある登りをエンジンを吹かしながら行きます。登るにつれて霧で空港や fjord は見えなくなり、雨は雪になりました。
[Building of mine #3]空港のフェンス越しに見る mine 3 の建物 (大きい写真は 18kbytes ) (会社のツアー紹介ページ 〜下記参照〜 の写真は別角度から)
1000 平屋の建物の一角に着きました。がっしりした建物のようですが、天候のせいで登山小屋に着いたような感じ。建物前で記念撮影しているお客さんもいましたが、あおやま はそんな気力も起きませんでした。寒いし。

講義

扉を開け、狭い通路を折れて、小学校の教室のようなところに入りました。
天井からの雨漏りをバケツで受けているところもありました。ガイドは「この夏はいい天気だからな」とここでも冗談を飛ばします。
「教室」で先に到着していた一群と合流、計 20 人、一同着席。
正面には第1 〜 第7 炭坑の位置の入った Longyearbyen の地図, Spitsbergen 島全体の地図が掛けられ、その下には、坑内で使われる道具がいくつか展示されています。
ガイドは奥の部屋で着替えて戻って来、「先生」のようにこちらに向いて立ちました。濃い青色の上下ツナギの作業服に、腰にはベルトを巻き、そこに弁当箱のような黒い箱を 2つ下げています。
「ひとつは self rescue box だ。非常時には上の蓋を引いて、口にこう当てる。2時間は呼吸を続けることが出来る。」
もう一つはヘルメットに付ける安全灯のための蓄電池。
「炭坑に入ると、目の回りが黒くなる、ま、今日はメークアップだけどな」(笑)

ガイドが 正面横の台から黒い握り拳大の塊を取り上げました。
「これは何?」「石炭」「そう」、とここで正面の地図を示しました。
「Spitsbergen 島では、このように Longyearbyen, Sveagruva, Barentsburg で囲まれた部分に石炭がある。他に Pyramiden や Ny-〕esund に石炭がある。
Longyearbyen では、炭層はほぼ水平で、山の斜面に坑口がある。これに対し、Barentsburg や Ny-〕esund では炭層は海面下まで下がっている。」

「(右の地図に移って) Longyearbyen ではこのように 7つの炭坑がある。
第 1 炭坑では '20 (Jan. 3) に炭塵爆発があり、26人が死に、閉山になった。
第 3 炭坑は、このように空港のそばにある。'71 に採炭が始まり、'96 Nov. に掘り尽くして採炭は終わった。
第 7 炭坑は現在でも採炭している。広くて機械採炭。坑内電車も走っている。」

ついで、第 1 炭坑のある山の立体模型を取り出してきた。
山の上の部分をぱかっと持ち上げると、炭鉱内の道, ツンドラを貫く換気道が密度高く掘られている様子が一目で分かるようになっています。
左上部には全然坑道がありません。
「何で坑道がないと思うか?」
生徒 (客) からは声が返ってきません。
「とっても簡単な問題だ」
まだ静かな生徒たち。
「この辺りには石炭はないからだ。山の上からボーリング調査をしている。」

これまでのいろいろな炭鉱事故の話

次に、並べられている各色のヘルメットを取り上げました。両側面にに騒音防止の耳あてが付いているのですが、ヘッドホンかレシーバーのお化けのようでもあります。
「入坑者はヘルメットの色で区別されている。
これで講義は終わって、荷物とコートを残し、入口と反対側の扉から奥の小部屋へ。
カメラを持ち込むことは出来ません (それは voucher にも書いてあったので、承知していました)。
しかし、ここでノートまで残していったのは大失敗でした。坑内でもノートを取ることくらいは出来たのでした。おかげで、坑内での出来事やガイドの話を片っ端から忘れてしまい、後でホテル帰着後に、思い出しながらノートをつけるのに大苦労しました。そのために、ノートの文字が綺麗で、読みやすい、という副産物もあるのですが。

坑夫の服に着替える

まず、ハンガーに掛けられている作業着から、自分のサイズにあったものを選び取って着ます。既述のように上下が繋がっているくすんだ青色の厚手の木綿製。
ついで、別の角の戸棚からヘルメットを取って被り、グローブをはめます。ヘルメットの色は、無論、guest を示す青色です。あおやま は化学会社に勤めているので、ヘルメットを被る機会は多いのですが、頭を押さえる部分は普段会社で使っているものと同じです (バイク用のものとはちょっと違う)。これに対し、顎に掛ける紐がないのは違っています。見上げる等、ヘルメットが落っこちるような作業はないでしょう。が、普段ヘルメットを被る機会の少ないであろう他の客たちはひっくり返して内側を見、後部の頭のサイズに合わせるストリップのところをなんじゃこりゃ、と引っ張ってみたりしています。
グローブをはめ終わったところで、蓄電池置き場の前にいるガイドの前に進み出ます。ガイドが蓄電池 〜ヘルメットに付ける安全灯とそれを結ぶケーブルが一緒〜 を取り外して self rescue box とともにベルトに通してくれ、客がガイドに対して尻を向けてバンザイすると、腰にベルトを回してくれ、安全灯を肩に掛けてくれ、ハイ、一丁上がり。安全灯は自分でヘルメット前部の溝に合わせて装着。
ベルトにぶら下げた蓄電池と self rescue box の 2つの小箱は案外重く、だらしなくベルトを締めると、そこだけ歩行困難なくらいに下がってきてしまいます。
本来の坑夫は入坑時に、私たちが次に行く小部屋で着替えてから、各自ここから蓄電池 (と self rescue box) を取って坑内に入り、出坑時にまた元の場所に返すと、次の入坑時までに蓄電池は充電されている、という仕組みです。
装備が整ったところで、隣の小部屋へ。坑夫の着替え部屋です。坑夫はここに着てきた服を吊るしておくのですが、各自のロッカーがあるというようなことはなくて、がらんとしたした部屋の壁際に服が吊るせるだけです。
「盗みはここでは nice crime だからね」
部屋入口正面の壁には名札を掛ける板があります。入坑時に名札を表にすることで、例えば事故時の入坑者の名前や数を瞬時に判断できるようになっています。

入坑

1030 さきほど着替えた部屋の奥の鉄扉を開けて、いよいよ入坑。
ガイド「俺ぁ、yellow helmet だからな (と頭を指す)、視線を合わせるんじゃねーぞ、メシは食ったか? 8時間出てこられないぞ」と冗談を飛ばします。

坑内機関車

入ってすぐ右側の少し広いところに、線路の上に載った箱が置いてあります。まず、その説明。
あおやまは鉄道一般に興味がある方なのですが、何の予備知識も持たずに来たため、これが坑内運搬に使われるトロリー式電気機関車であることがすぐには分かりませんでした。坑内天井に架線が張ってあり、この機関車はその架線からトロリーを通じて電気を受けて走るわけです。
[Pit train in the front of the museum]Museum 前に展示されている坑内列車の実物 (大きい写真は 21kbytes )
な、なんと、坑内には動く炭塵爆発の素があるのか、と最初度肝を抜かれました。 石炭炭坑での恐ろしい事故のひとつは炭塵爆発で、その防止法のひとつが着火源を作らない、というのは当然です (炭塵ではないけれど、同様に爆発事故が起こる可能性の高い化学会社では、私が勤めている会社に限らず、どこでも十分注意が払われています)。電気機関車のトロリーが架線から離れてスパークが起こる可能性があり、それが着火源になることは十分予想されます。例えば、夜に旧式の新幹線が走っていく様子は、パンタグラフが架線から離れることによるスパークが印象的です。
もっとも、スパークを防止することには、当然、かなり注意が払われているようで、ガイドもそのことを強調していました。結局、低電圧、低速走行がスパーク防止の鍵のようです。運転席に座ってしきりに説明しているガイドが手に持っている木の棒がトロリー棒ですが、そんなものを手で持てることからも電圧が低いだろうということは分かります。
思い返してみれば、日本の炭坑でもトロリー型電気機関車は使われていましたし、石炭ではないけれど、生野や別子で電気機関車が牽く列車は鉄道に興味を持つものには有名な存在だったのでした。
しかし、三井三池炭坑では、貨車の車輪と線路の間の火花が着火源となって死者多数の大惨事が起きたことがあり、「火花の素を絶つ」ことの容易ならざることは察せられるのでした。

坑道を歩く

扉をくぐり抜けて、坑道に入ります。
ガイド「壁を叩いたり、石を持って帰ったりするなょ」
トンネルの高さは 2m らい、架線に触れて感電死、などということはなさそうです。幅は複線の線路敷だけで一杯、という程度。あ、しまった、軌間を測ってくるのを忘れた… 。列車は右側通行だそうです、珍しい。
緩い勾配を下っていきます (もちろん歩いて)。枕木の上をたどるのが歩きやすい。
壁際のいたるところに、ポリマーのペレット なら 20kg は入りそうな紙袋が置いてあります。
「これはチョーク。チョークは燃えない。だから坑内ではあちこちで使われている。」
見れば特に地面は真っ白。靴も真っ白です。

まっすぐ伸びている坑道から脇の坑道へと軌道が分かれていて、その先は鉄扉で隔離されているところがあります。
「ダイナマイト保管庫だ。2日分が保管されている。坑内爆発があると危険なので、それ以上はここでは保管しない。外から、都度補充する。」

[Passage in 2F] (Museum 2F に展示されていた 坑道を支えている様々な形。 大きい写真は 25kbytes )
「天井を支えるには 3つの方法がある。
その先で坑道がカーテンのようなもので簡易的に仕切られています。換気のためだそうで、ガイドが何やら冗談を言って、その仕切膜を持ち上げて次の区画に進む。

point in the tunnel ときどき、頼りなさそうな棒のぶら下がった黄色い標識が坑道天井に取り付けられています。
「線路の少し先を見ろ。線路の一方が内側に折れているだろう。このスイッチ (頼りなさそうな棒) に触れると、線路の折れた部分 (ポイント) がまっすぐの向きに変わって進路が確立される。下り勾配を列車が過走しないための仕組みだ。反対側の上り線にも同じ仕組みがある。石炭を積んだ列車が逆走しないようにするためだ。
スイッチに触れるのを忘れたときに走っていって、ポイント横のレバー (転轍器) を操作して進路を作るのは、勿論、green helmetter の役目だ。」

切羽 (採掘現場) 跡

主坑道から切羽への分岐路に来ました。
分岐路の壁に黒板が掛けてあります。ガス検知の測定結果を、当然チョークで書くようになっていて、測定日時、測定者、酸素濃度等を記入するようになっていました。もっともかなり古い日付でしたけど。
左方の切羽への坑道へと入っていきます。幅も狭く、足元も悪くなりました。
すぐに、「ここが採炭現場だ」に着きました。
線路上には貨車が置かれていて (小型のリール式電気機関車に繋がれています)、その先は、木を井桁状に組み上げたものが行く手を遮っています。

[Model of the pit-face with those of miners] (Museum に展示されていた、切羽での採掘作業の様子の実物大模型。大きい写真は 14kbytes )
上部には細長い箱のような構造物があって、その先に穴が伸びています。石炭を掘り進んでいった穴ですが、短い柱が整然と並んでいるので、「穴」というよりは、「廊下」といった方が適当かもしれません。幅はかなり広くて 10m 位ありそうですが、高さ (天井) が低い。匍匐前進の態勢から少し頭が上げられる程度の高さしかありません。
長さ (奥行き) はヘルメット頭上のライトで照らしても、端は全然見えません。250m あるそうです。
廊下を見通せるように木組の横長の階段が作られていて、客はそれに登って整列、ガイドは反対側の廊下への梯子に登ってこちらを向き、この切羽の解説をしてくれます。

「さ、希望者は、こちら側の採炭現場で腹這いになってみることが出来る。」
女性客の何人かはニヤニヤしながらそのまま階段の方に残ったが、好奇心旺盛な客の方が勿論ずっと多くて (女性も)、「廊下」へと登っていく梯子のところに列が出来ました。
匍匐前進というか、尺取虫のような前進というか、で木の床と岩盤 + 鉄梁で挟まれた狭い空間に潜り込む、という感じでした。
ドリルが置いてあったので持ち上げ、構えてみました。確かに重い (既述)。
床を這って一周して元の道に下りました。

[Frames in the tunnel with the various materials] (Museum に展示されていた、切羽を支えている木組, 角材が組み合わせの部分で歪んでいるのは地圧を表そうとしたものと思われます) 大きい写真は 14kbytes )
さらに坑道を奥まで進みました。
ここまで来ると、実木積 (上写真よりもずっと高いもの) が天井を支えていました。
壁には炭層が現われていました。薄いので見向きもされなかったのでしょう。石炭のかけらをポケットに仕舞う姿があちこちで見られました。
「では合図するから、一斉にヘッドライトを消してみよう。スイッチはこれだ、わかるな。」
真っ暗になりました。「おー」
1145 ここで引き返して、来た道を戻ります。緩い上り坂が延々と続いていることが改めて実感されました。

[Miners uniform] (坑夫の作業着姿) (大きい写真は 13kbytes )
作業着やヘルメットのある部屋まで戻ってきたところで写真撮影が許可になりました。坑道に入ってすぐのところで写真を撮ることもでき、カメラを取りに戻る客も多い。皆のカメラが順調に機能しているらしい中、あおやまのもの (Olympus L-10 Super) はフラッシュをジージー予備発光させるくせに測距不能でちっともシャッターが落ちませんでした。近くにいたおじさんに頼んでシャッターを押して貰うことにしたのですが、上記事態で、かなり苦労を掛けることになってしまいました。おじさんもとにかく写してやろう、と根気が良く、ついに 1回シャッターが落ちました。とにかく感謝。その奥さまらしい方からも、「ちゃんと撮れた?」と声を掛けて貰いました。

お土産

安全灯, self rescue box, ヘルメット, グローブを順に戻し、作業着を元のハンガーに掛けて、初めに入った「教室」のような部屋に戻りました。
「教室」後方でガイドが机上に絵葉書を広げ、脇に手提げ金庫を置いています。
ざっと見渡して、 の 4葉を買うことにしました (5NOK/葉 × 4葉 = 20NOK)。
まだ雪の舞い、見通しが利かない中、出発し、
1245 ホテル帰着。靴はチョークで白く、鼻の穴の中は黒くなっていました。

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Last Modified : Feb. 12, 2006